セイコースーパー
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セイコースーパー

1950年(昭和25年)に発売されたセイコー初、と言うか日本初の本中三針腕時計(とかつては呼ばれていた)。
それまでは6時位置に秒針が独立した形で配置されたスモールセコンド式が主流だったが戦中、戦後すぐには日本でもセンターセコンドと呼ばれる時針分針秒針が一つの軸に集約された現在お馴染みのスタイルのモデルが発売され始めるがそれはスモールセコンドムーブメントに出車を配置して無理やり真ん中に秒針を移動させた疑似3針とでも言うべきものだった。
世界に目を向ければ様々なブランドが本中三針ムーブメントをすでに発売していたが当時まだ技術的に発展途上だった日本はなかなか本中三針ムーブメントを開発できなかった。
そんななか国産初の本中三針腕時計と言う触れ込みで登場したのがセイコースーパー。
開発は諏訪精工舎社。
がスーパーは国産初ではなく2番目のモデルで最初に登場したのはシチズンのニューシチズンと言う腕時計。
1949年発売。
実はこの事実が発覚するのはインターネットが普及し始めてから
実際の所スーパーとニューシチズンの発売時期はほとんど差がなく市場に出回りだしたのは同時期であったと言われてる。
まあ国産初は逃したものの近代セイコー腕時計の源流であり間違いなく歴史的名機である。
が諏訪精工舎が自ら次に送り込んだ正真正銘の大傑作機セイコーマーベルがあまりに偉大すぎてすっかり影の薄い存在になってしまう。
ビンテージ腕時計がもてはやされる現代なおいてもあまり注目されることがなく、マーベルの後継機でそのマーベルと肩を並べる大傑作クラウン開発の際にスーパーの生産設備をある意味ライバルの第二精工舎(亀戸)に譲り亀戸生産で誕生するセイコーユニークがかなりマーベル寄りに改良したおかげでユニークの方が完成度が高くなってしまいますます注目されない不遇の存在となった。
が歴史的な立ち位置を見ればセイコースーパーの影響力は計り知れないものであり国産初の本中三針機ニューシチズンよりもはるかに大ヒットし、事実上国産本中三針戦争の狼煙を上げた名機である。
余談だがみんな大好きオリエントはセンターセコンドムーブメントの開発がうまく行かず仕方なく戦前設計で戦後に小改良して延々作り続けたスモールセコンド式シーラカンスムーブメント戦後10B型に21石のルビーをぶち込んだ魔改造にも程があるムーブメントを送り込みオリエントスター21石として発売。
1960年代に入るまで無駄に石数が多いスモールセコンドムーブメントで対抗することになる。
さて今回のスーパー、セイコー初の本中三針機と言う他にもう一つ特徴がある。
それは文字盤とケースのバリエーションの多さである。
その後に出てくるセイコーの腕時計もバリエーションは多いのだがスーパーは桁外れでケースデザイン、ケースサイズ、文字盤デザインの組み合わせが数百種類といわれ、セイコー自体把握しきれないほどのバリエーションが存在。
ほぼワンオフで作られたものまで存在しており今後全バリエーションを把握することは不可能なレベル。
前に知り合いの古い時計店の店主に聞いた話だと修理交換用の文字盤をわざわざ新デザインで作って来ると言う頭おかしい⋯サービス満点ぶりを見せつけてきたらしい。

偉大な後輩のおかげでセイコー初の本中三針にもかかわらず全く目立たない可哀想なセイコースーパー。
しかしそのバックグラウンドを見ればマーベルに負けない偉大な存在である。
そんな裏話を想いつつ手を出してみてはどうだろう?

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投稿者

ゲームグラフィックTV
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東京都

コメント

  1. GMT-Master10 GMT-Master10

    不遇のモデルとされがちなスーパーだけど、その存在意義を知れば“持つ理由”になる一本ですね!

  2. @GMT-Master10
    どんなマイナーな腕時計でも裏事情を知ればみんな名機なのです^⁠_⁠^

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